――ここでちょっとこいちゃんにMummy-D論でありRHYMESTER論を語ってもらえたら。
小出:ご本人にどこまで俺が思ってることが刺さるかちょっとわからないですけど、僕が音楽を作ったり、聴いたりする上で、少なくともDさんと宇多さんが二人ともいるんですよ。つまり、僕は“一人RHYMESTER”なんですよ。
――これはけっこう前から言ってますよね。
小出:そうそう、“一人RHYMESTERもどき”なんです、僕(笑)。
Mummy-D:そこは“一人RHYMESTER”でいいじゃん(笑)。
小出:(笑)。いや、でも僕が“一人RHYMESTER”っていうのは憚られるので。Dさんと宇多さんが持ってるものって、かなり性質が異なると思うんですね。だけど共通してる部分も多くて。だから二人が混ざることによって、一人じゃ絶対生まれない何か、化学反応でありマジックであり数式なのかはわからないんですけど、そういうものが生まれてるなと思っていて。僕は曲を作ってる時に、左から攻めたり右から攻めたり、ドリブルみたいな感じでやってるんですね。蛇行してる感じ。左に振って、右に振って、左に振って、右に振ってということを繰り返してる。それが僕のポップスの作り方だと思ってるんです
――蛇行するっていうこと?
小出:そうそう。蛇行して往復運動を繰り返してるんだけど、完成したときに一本道に見えるものがポップスだと思っていて。なんですけど、やっぱりロックバンドって構造的に左右の往復運動が少ないんですよ。
Mummy-D:そうなの?
小出:そうです。で、ポピュラーミュージックという意味において、一本道になってるのは変わらないんだけど、ロックバンドはねじで言ったら巻きの数が少ないというか、そういう左右の振りが少ないんですよ。
Mummy-D:そうなのかね?
小出:で、僕は左右の振り幅どんどん細かくしていくことを意識的にやっていて。
Mummy-D:まぁ俺らは、二人の誤差も含めて曲を作ってるからね。逆に言うと、いい事故も起きやすいっていうのはあるよね。
――たとえばDさんはトラックメーカーでもあるじゃないですか。自分の作ったトラックを全部採用したいみたいな自己顕示欲はないのかなって。
Mummy-D:ない。俺はすげえボツにするよ、自分のトラック。
――そうなんですよね。それもRHYMESTER論にもつながってくると思うんですけど。
Mummy-D:まぁグループだし、誰の力を借りてでもいいから次のボムを作んなきゃいけないみたいなプレッシャーの中でやってるから。自分の力だけで作ったトラックやラップが一番かっこよくなるわけじゃないんだよね。自分の体内に元からあるグルーヴを体現したトラックに、自分の体内にあるグルーヴを体現したラップを乗せても、化学反応は起きないんだよね。
小出:バンドと同じですね。僕も一人で、打ち込みで音楽を作っても絶対楽しくないと思うんですよ。予期せぬことがメンバーという自分とは違う人間がいるから起こる。それが面白い。
――音色やフレーズのニュアンスは一人のほうが完璧に構築しやすいとは思うけど、予期せぬことは起こらない。それがバンドマジックでありグループマジックということなんですかね。
小出:一人だと魔法使いになれないしね。
――は?(笑)。
Mummy-D:魔法使い(笑)?
小出:いやだから、最終的に一人で最後までやりきっちゃうと、それはサイエンスなんですね。サイエンティストのような気がしていて。そうじゃなくて、何かと何かを調合して、配合して、別のものを生みたいんです。音楽って、往々にしてそうだと思うんですよ。一人で発展してる音楽って絶対ないんですよね。ジェームス・ブラウンのドキュメンタリー映画(『ファンクの帝王 ジェームス・ブラウン』)を観て思ったんですけど、JBって音楽的にも存在としても圧倒的じゃないですか。もちろん、JBがすべてを引っ張ってるのは確かなんですけど、だけどJBはJBだけじゃ絶対にJBになれなかったと思う。バンドの背景もそうだし、JBが言ってることをちゃんと再現できるプロが周りにいたっていうことなんです。で、そのプロのミュージシャンたちもそれぞれ一人じゃ輝けないんですよね。だから音楽って一人のものじゃないんですよ。そもそも、音楽を作ってる段階で。打ち込みで曲を作る人だって、実は一人で作ってるように見えて、一人対機械なんですよね。僕対機材であり、僕対楽器でもある。だから、音楽っていう単位になると、絶対一人じゃできないものだと僕は思ってるんです。
――「The Cut-feat.RHYMESTER-」の制作でこいちゃんが悩んでいたときに、Dさんがこいちゃんに「もっとラクに曲を作りなよ」という言葉を投げて、それを受けてこいちゃんは曲作りの突破口を開いたと言ってましたよね。
小出:僕はもうDさんの音楽論にめちゃめちゃ影響を受けてますから。「The Cut」の制作で言えば、僕がすっげー考え込みすぎちゃって。近年あんまりないくらいに考え込んじゃったんですよ。
――憧れもあるし?
小出:自分たちがまずすべりたくないし、何よりライムスをすべらせたくなくて。普段、RHYMESTERがやられているコラボレーションとは性質も畑も違うから。コラボするのではれば、有機的な絡み合いや結合物が生まれないといけないと思たんですよね。それで最初は自分でハードル上げすぎちゃって、最初のデモを作ってる段階では全く納得がいかなかったんですよ。
Mummy-D:スタジオが澱みまくってたよね(笑)。
――そこでDさんがこいちゃんにメールを送ったんですよね?
Mummy-D:「もっとラクにやりなよ」的なことを言って。「毎回これやってんの?」っていうくらいすっげー澱んじゃってたから。
小出:毎回ではないです。あの時くらいなんですよ。その時にDさんが言ってたのは、僕が制作においてかなり民主的になっちゃってたと。RHYMESTERの意見もそうだし、うちのメンバーやスタッフも含めて、全員の意見を俺が聞いてそれをまとめるような形でやろうってなってたから。
Mummy-D:音楽は本当に民主主義じゃダメなの。誰か一人が強権を発動しないとね。
小出:で、Dさんが言ってくれたのが「こいちゃんのエゴを出していいよ」と。「誰かがエゴイストじゃないと音楽は完成しないから」と。「じゃあもう、やります!」ってなって、それを受けてすぐに曲ができたんですよ。こんなにも誰かの一言で状況が一変することってあんまりないから。その時は俺もなかなか素直だなって思いましたけど(笑)。
――こいちゃんはヒップホップにすごい影響されてるんですよね。そういうところも「The Cut」のコラボレーションでDさんは感じることができたんじゃないかと思うんですけど。
Mummy-D:そうね……質問の答えとはちょっと違うかもしれないけど、俺の中でヒップホップと向き合うときにリズムを重視していて、歌詞の表現性に関してはまだまだ日本のポップミュージックに追いついてないという思いが自分の中にあったから。特にギターロックとか最近のロックシーンの人たちの歌詞は内省的だったり、作品性を追求してるなと思っていたから、自分的にはそういう部分を取り込みたいと思ってたの。それはTokyo FMの森田さんという人にも言われたことなんだけど。
小出:ああ、「SCHOOL OF LOCK!」のプロデューサーの。
Mummy-D:そうそう。で、「RHYMESTERはもっと“作品”を作ったほうがいい」って言われて。「え、作品作ってるよ?」って思ったんだけど。
小出:森田さんにそんなこと言われたんだ(笑)。
Mummy-D:そう。でもね、俺はなるほどと思って。そりゃ作品は数多くリリースしてるけど、合点がいったんだよね。「ロックバンドのアルバムより、ヒップホップグループのアルバムって、なんとなくできちゃいました、みたいなノリに聴こえがちだ。そうじゃなくて、もっとストーリーがあって、深いものなんだって考えさせられるような作品を作ってほしい」と森田さんに言われて。ちょうどRHYMESTERが再始動するタイミングだったから、もうちょっと自分らなりのメッセージ性やエモーションを開放したいとか、そんなことを考えてたんだよね。それで、ちょうどこいちゃんからも「ファンです」って言われてCDもらったりして、こっちが逆に歌詞を研究したり、吸収したいと思ってたんだよ。
小出:ありがとうございます。
――その流れでお聞きしたいんですけど、FG CREWの功績について、Dさんはどう思ってるのかなって。
Mummy-D:いきなりそんな話するの(笑)?