自分が思うポップスへとくっつけていくのかっていうのがこれからの課題だと思ってる
——そもそも浩樹の音楽的なルーツはどこにあるの?
浩樹:変な話だけど、セクシャル的にマイノリティな立ち位置をみんなに印象付けてるアーティストが好きかな。玉置(浩二)も好きだけど、玉置はけっこう例外って言うか。
――クィーンとか?
浩樹:クィーン、マイケル(・ジャクソン)、プリンス、ジェフ・バックリー、マッキー(槇原敬之)、チェット・ベイカーとか。
――自分のアーティスト的な視点で彼らにそういう魅力を感じてるの?
浩樹:あるかも。不遇なもの、みたいな。その行き先として音楽しかないみたいな。
――音楽を能動的に聴くようになったのは中学生くらいから?
浩樹:そうだね。深夜の90’sとかのテレビで有名な曲だけを詰め合わせしたみたいな通販がCMであったじゃん。で、マッキーがボンって流れてきたときにめっちゃいい、みたいな感じで。
――高校は、学園祭でバンドやったりとかそういうことはやってなかった?
浩樹:ギター教室にみんなで行こうって言って、バンプ(BUNP OF CHIKEN)を一緒にやろうよとかあったね。アコギを半年くらい習って。お披露目会みたいな感じでバンプの曲やって、あとは家で弾いてたりしてたくらいだね。
――大学に入るまでそこまで一回も作ったことなかったの?
浩樹:なかった。作りたいとは思ってたよ。でも運がなかったんだろうね。作ったとしても、どう? とかいう場所もなかったしさ。
――大学では徐々に自分でも曲を作り始めたの?
浩樹:うん。で、作ってみたんだけどって聴かせたら、ジェフ・バックリーとか教えてくれた友達がすごい褒めてくれて、これ行けるなみたいに思ってやりだしたっていう感じ。
――自分の中で、ソングライティングも含めて本当の意味での手ごたえを感じたのっていつ?
浩樹:やっぱ「牡丹の花」とかじゃないかなぁ。あれは大学3、4年くらい。初めて好きな人ができたんだよ。でもフラれまくって、その時に書いてた曲。いっそ嫌いになってくれたら楽なのになぁって思ってたら、「牡丹の花の~♪」っていうフレーズが出てきて。不思議なもんでさ、それでレコーディングしようってなって、バンドの演奏だけの音を聴いたときに、あ、これはいける!みたいなのがあって。だけどあの曲は一人で線を作って行っちゃったからさ。
――ずば抜けていい曲だからこそ、独り歩きしちゃったっていうことだよね。それはさっき言ってたあの歌にある報われない感じが、マイノリティにある人たちの心の叫びみたいなものと通じるっていうニュアンスがあると思うんだけど。
浩樹:前も言ったと思うんだけど、基本人との接し方って、どうせ嫌ってるしみたいな感じなんだよね。
――なんなの? その被害妄想。
浩樹:知らない(笑)。「牡丹の花」も、好きな人に音楽だけでも褒めてもらえたらいいやって書いてたから。でmixiか何かを見た時に、その人がすごいいいみたいなことを書いてくれて。その時は死んでもいい気分だったね。わかんないけど、「牡丹の花」を自分に宛てた曲だとは思ってたのかも。でもすごくいいみたいなことを見た時に、報われた気持ちになった。
――歌詞もメロディも本当に浩樹節の核だと思うんだけど。あの曲を書けた時は自分のソングライティングにおける真ん中みたいなものがここなんだなって思った?
浩樹:それはみんなに言われてからだね。マッキーとか核ではつながってるんだろうけど、別にあそこまでしっとりとはしてないからさ。プリンスとかマイケルとかスティービー(・ワンダー)とかもそう。そういう意味でいうと、自分が思うポップスへとくっつけていくのかっていうのがこれからの課題だと思ってる。
――なるほど。たとえばもっと跳ねた感じっていうのと自分の歌をいかに生かせるかみたいなことだよね。グルーヴ感のあるものとかね。
浩樹:うん。だからポップっていう意味で、ちょっと挑戦的じゃん。「BIG POP KITAZAWA」っていうイベントの名前にしたし、自分の歌にはある意味シンプルでありきたりっちゃありきたりなフレーズしかないけど、今までの僕を知ってる人からしたらちょっと意外だな、みたいな感じがあると思うんだよ。