はじめに・・・

涙の知らせをきいたのは今年の一月。そう、一月?。ここ、ガレージの歴史を語る上でも外せないバンドがこの東京パレード。連中が活動休止なんだって。やー。この七年間、全ての出来事をイベントにしていったグループ東京パレードの代表、みんなの夢・嵐田氏に気になること、全部ききました。さすがに感情的になってしまったよ。明日開催のラストパレードに備えて是非ご覧くださいませ!ありがとう、東京パレード!!!!フォーレバー。(でぐち)


店長 出口(以下:出):ということで、今、GARAGEでホットなアーティストをインタビューするコーナーがありまして?、で、誠に残念なお知らせを流している東京パレードにスポットを当ててね。
東京パレードと言えばみんなの夢としてGARAGEの時代を支えてくれたバンドのひとつじゃない?ということで、その東京パレードのボーカル嵐田さんに来ていただいております。
よろしくお願いいたします。
東京パレード 嵐田光(以下:嵐):よろしくお願いします。
:まず、東京パレードのことは結構たくさんの方々が知っているとは思うんですが、それぞれのお客さんによってエントリー時期がいろいろなので。まずは、東京パレードの活動とエピソードをまずはお聞かせください。
:えーっと、最初のライブは2002年の7月なんですね。
:もう7年前??
:えーっ!!7年前!?えーと、7年・・・。ほんとだ、7年前だ!!!(笑)
:(笑)
:そうだよね。7年だよね。2002年にやり始めて、僕が23ぐらいの時なんですよね。で、東京パレードの前はシブヤーズっていうバンドをやっておりまして、その頃からGARAGEにはお世話になって、2002年3月に活動停止して、4ヶ月後にバンド名と形態を変えてライブ活動を開始したと、いう感じなんですよね。
:前身バンドのシブヤーズは嵐田が大学生のときだっけ??
:僕が大学2年生ぐらいの時じゃないかな〜。
:東京生まれ。いろんなとこ育ち??あ、渋谷育ちか??
:そう、渋谷育ちのシブヤーズ。19の時にやり始めたのかな。大学3年ぐらいでGARAGEに出始めたんすよ。ていうか、今だにシブヤーズやってた期間の方が長い印象があるんだけど、ぜんぜん追い抜かしちゃってるんだよね。
:シブヤーズで一番初めに音源を持ってきてくれた時ってまだテープだもんね。カセットテープ。
:そうだよ。しかも、デモテープ審査で落ちたんだよ。
“スーパースター”って曲で応募して。大橋さんに「字余り」過ぎるって落とされたんだよ(苦笑)今だに覚えてるよ。その後縁あって気がついたらGARAGEに出るようになって。デモテープをハイラインとかにも置いてもらったりして。その頃から、バンドって楽しいな〜って思って、だけど大学卒業するタイミングで、社会人になるメンバーがいたり、バンド一本でいくメンバーがいたり、そういうことがあってシブヤーズを休止して、そのうちの3人が東京パレードに移行した感じで。最初は3人だったんですよ。淳也・藤沢・俺、以上。最初の頃は、CDJ使って、1DJ・2MCでやってたんですよ。そんでさ、出口さんがライブの度に結構適当なアドバイスをするからさ(笑)たしか出口さんが「淳也ドラムやったら??」って。
:そうだっけ?(笑)
:それで、1ドラム・2MCでやってた時期も・・・(笑)1・2回あったよ。
:そんな迷走してた??
:ある意味、迷走させられたんだよ・・・(苦笑)無責任な(笑)
:淳也、そっちの道も行けたんだね。
:そう。ドラマーだった時期が。渋谷のキノトでやってた2319(ぶさいく)ナイトで。
:そう。東京パレードを語る上ではずせないのが、2319(ぶさいく)ナイトっていうイベント。
:はいはい。そうですね。
:それが当時結成したころだっけ??
:結成した年の終わりの方だね。最初の頃、たしか2319ナイトって出口さんが1回目はGARAGEでやって、GARAGEでやるにはアンダーグラウンドすぎるイベントだってことになって(笑)それで渋谷のキノトで月に1回、金曜の夜にDJイベントするように。いや、あれは実験イベントか??今思うと、かなりすごいことやってたと思うけどね。怖い話したりとか。あと、出口さんがいきなりやる血液型当てゲームがあって、お客さんを一列に並べて、十何人連続で血液型を当てたんだよね??A、B、O、O、B、A・・・みたいに。そういう奇跡なことをやっていたイベントだよね。
他には、駅前にいた「ゆず」を歌ってたストリートミュージシャンを連れてきて歌わせたりとか、ワールドカップ見に来た外国人をむりやり呼んでラップさせたりとか(笑)
そういうことをしている中、東京パレードだけバンドとして出演して純粋にライブしたりね。それで、ライブ慣れさせてもらって。
やっぱ、新しいバンドを結成した時には、まだGARAGEでやらせてもらえるクオリティーにはなってなかったんだよね。迷走してたから。(笑)
それで、2319ナイトという場で機会を与えてもらって、そこで模索しつつ形になっていったっていうのはありますね。
で、1ドラム・2MCの時に、淳也にやっぱりギターが弾きたいって言われて。まあ、ギターリストだからね(笑)
:そりゃ、ゆうよね。(笑)
:そこでギターに戻って、ギターと2MCになって。その頃、山ちゃんが毎回見に来ててさ。
:山ちゃんはたしか友人のバンドのスタッフを元々やってたよね??
:そうそう。チェイン☆ギャングっていうバンドのスタッフをやってたんだよね。
:それはシブヤーズ時代から友人だったの??
:そう。淳也が山ちゃんとすごい仲良くて。元々サッカー部でも一緒で。
:サッカー??淳也?
:そう。じつはサッカー部。それで、山ちゃんは、実はシブヤーズの事が好きだったんだよね。だけど、彼は好きとかうまく言葉に表せない人だから(笑)たまに見に来てた感じで。実は、ずっとギターをやりたいと思っててくれてたらしいんだけど。それだから、東京パレードを手伝ってくれないかって誘って。2MC・2ギターっていう・・・まだ、全然バンドとして成り立ってない(笑)普通さ、みんなはバンドやるんだったら担当をちゃんと割り振るんだけど、ウチはある意味わがままな人たちが集まってやってて。形態はメチャメチャですよね。まったくバランスを取る気がないっていう。 最初の3年ぐらいはかなり模索しつつで。ライブしながら作りあげていくって感じになっちゃってましたけどね。それに、あの頃は精神的に全然開けてなかった。今思うと、俺暗かったな〜って思うんだけど。シブヤーズを休止してしまって。なんか世の中に対して、負い目を感じていて。すごく内公的になってましたね。そういえば、さっき昔のスケジュールを見てたんだけど、2002年にBaseBallBearと初対バンしてるんですよ。
:祐介がたまに言うエピソードがありますもんね。
:そう。彼、東京パレードを知っていてくれたから、最初の対バンの時、楽屋で挨拶してくれたんだけど。僕がかなりそっけないリアクションをしたらしく(笑)まるで、ヒットマンのような冷たい目だったと今だに言われるわけです。彼は僕に対して明るい人のイメージを持っていたらしくて、そのギャップがまたね。(苦笑)だけど、あの頃は本当にそういう感じで。他のバンドに対しても、友達になるもんかみたいな気持ちで・・・。
:今のパレードスタイルから掛け離れてるよね。
:そうそう。ホント内にこもって。みんな俺のことをバカにしてるんだっていう気持ちで・・・。まぁ、今でもそれはありますけど・・・。
今よりも被害妄想っぷりがひどかったですよね。
:ある意味、自分の世界を強くね、ロックミュージシャンとしてそこは培って、それがまた重要な時期だったろうね。
:まぁ、そんな良い感じの閉じ方じゃなかったけどね・・・。
ただの嫌な奴だったと思いますけど・・・。また、僕たちって打ち込みがあってラップが入って、いわゆるギターロックじゃなくて。
シブヤーズ辞めて、ラップが売りみたいになってて。
だからGARAGEでの対バンとの相性が悪い悪い・・・。
もうドラムとベースがいない時点でお客さんもジャンルが違うと敬遠しがちで。またGARAGEも対バンのブッキングの仕方が難しかったっぽくて。
和太鼓の人たちと対バンしたり(笑)
:結構バラエティー系だったね(笑)
:特殊チームとの対バンが多かったもん(笑)
ある意味、あの頃のおかげでタフになりましたよ。ものすごく(笑)
どんな対バンでも怖くなくなったからね。
:ダンスミュージック自体、当時はカラオケ的な扱いというか。
:そうだね。今より、ライブハウスシーンに打ち込み系が少なかったっすからね。
:なんか特殊な感じはあったのかもね。
:それと、ラップっぽいギターロックも。今ではいろいろあるけど、当時はあんまなかったからね。ギターロックバンドとの相性は悪かったっすね・・・。今思うと、あの頃は病んでたな〜。最初3年ぐらい。
:今の活動方法や表現とは違うもんね。
:バンドとして成立してないのに、バンドとしてやるしかないから。
状態が完全じゃないまま、とりあえず走ってる感じでしたね。
だから当時は、とにかく負い目を感じていて、インにインに入ってた時期でしたね・・・。どっから変わったんだろうね??
:たぶん、きっかけになったと思うのが、スピードワゴンのDVDのタイアップで“君の顔”って曲をリリースしようってことになって。それが一つの大きなきっかけになったんじゃないかなと。
:そうだ!!そうですね。それまでも、自主制作のCD-Rを作ったりとかしてたんですよね。だけど、タイアップもらったときに、それに対して特にアクションを起こすつもりもなかったんですよ。卑屈になってたから。どうせタイアップになったけどCD買ってくれる人なんていないみたいになって・・・。だけど、あの時、出口さんがとにかく出せと。新しくする必要はないから、今あるものをまとめて出せって言われて。
過去に出した3枚のマキシのリード曲と“君の顔”のリミックスバージョンを作ったんですよね。それで、時間ない中、自分たちでレーベル作って、全国流通させて、赤字覚悟の値段でやって。自分のCDを売るためにいろんなレコード店に挨拶に行ったりだとか・・・。たしかに、そこでプロ意識みたいなもんが芽生えたのかもしれない。
:それがナニラニレコードの始まりでもあるね。
:そうですね。それで、流通の方に気に入ってもらってカラオケに入れてもらったりとか、ラジオで流してもらったりだとか、そういう動きがあって。そこからお客さんも増えてきて。タイアップで直接的に増えたわけじゃないけど。ライブを見たお客さんが、このバンドは応援してもいいんだ、って思ってもらえるようになって。
:各アーティストからも応援メッセージが届いたよね??
:そのときは、スピードワゴンさんからもらったりだとか、ART-SCHOOLの櫻井さんとか、LUNKHEADはドラゴンとか、SPORTSの伊藤くんとか。シブヤーズ時代の仲間たち(笑) それと同じ時期に、出口さんがDJするってことで僕もMCで誘ってくれて、ドラゴンのSLOWNIGHTに出たんですよ。
:それ、第一回目のSLOWNIGHTだよね??
今でこそスタジオコーストやLOFTのオールナイトでやってるけど。
:そう。QueでやったSLOWNIGHT。あそこでなんか開いちゃったんだよな〜。
:なるほどね。なんかその頃からみんなでパレードっていう感覚があるんじゃん。仲間っていうのを意識したし、自然に仲間が出来たというか。
:そういうのはありましたね。その頃から外に出るきっかけが少しずつ増えてきて。バーってなった感じですよね。それまでは、地下でコツコツと秘密の何かを作っていた感じでしたからね。誰にも気づかれないところで(笑)“君の顔”のリリースとSLOWNIGHTがターニングポイントになった気がするな〜。
:“君の顔”のリリースの後って何したっけ??
:その頃から、「Parade」ってイベントやったり。デフロスターズ、チェイン☆ギャング、ダイオレ、リバサイとかね。レコ発もやったり。
:そこからいろいろイベントをやりつつ。
:3ヶ月に一度ぐらいでイベントやるようになって、
“君の顔”を出したぐらいの頃に“渋谷会”というのが誕生しましたね。
:あぁー。あの青春飲み会ですね。その“渋谷会”っていうのは??
:“渋谷会”っていうのは、GARAGE出口さん、出口さんの幼馴染みのモノマネ名人ナカムラマナヴさん。今でこそモノマネ名人ですけど、当時はカラオケ歌ったら、ちょっとB’zっぽいっていう。ただのB’zがうまい人だったからね(大笑)あとは、LUNKHEADドラゴン、小出祐介、長岡亮介、村瀬隆明。社長はその頃に輪に入ってきた感じで。それと、社長ってネーミングは今でこそ定着してますけど、あの頃はみんな“タカちゃん”って呼んでましたからね。しかも、まだ東パレのステージには立ってない頃ですからね。それと、この年は大阪のSLOWNIGHTに連れ出してもらったんだね。LUNKHEADに呼んでもらって、初めての大阪ライブ。
:初めてのツアー。東京でしかやったことがない(笑)東京パレードだもんね(笑)
:ツアーとかを、かたくなに拒んできて一切やってなかったのを、初めてLUNKHEADが連れ出してくれて。そこら辺ぐらいから活動が活発になってきて。あと、東京パレードってイベントに全然呼ばれなかったんですけど、その頃にシブヤーズ時代にお世話になったイベンターの人たちが新しいイベントを始めたんですよ。それで呼んでもらったりして、他のハコにも出るようになってきて。そこら辺からちょっとづつ変わっていったんですよね。
:あと、同時に個人活動も。各種イベントでの司会者としても。
:司会者はずっとですよ。シブヤーズ時代から(笑)
:そうか(笑)
:あと、2006年は初めてワンマンライブをやったんですよ。そこら辺から盛り上がってきたんですよね。今のレーベルメイトD.W.ニコルズと出会ったのも、2006年の年末とかですね。すげー良いと思って、社長とうちのレーベルで、ニコルズ出そうよって話になって。それで、レーベルメイトが出来て。2006年のカラオケイベントでは、小学校の頃、塾が一緒だったストライカーズの星野くんと運命的な再会をして。
:ステージ上でね(笑)
:そこら辺から2007年はストライカーズと対バンしたりして。
:そういったこともあって、“レインボー”が出たのが2007年??
:そうですね。
:ライブで盛り上がる定番曲。
:“レインボー”出したときも、イベントやリリースを自分たちでやって。あのときは、追いつめられたなあ。聞こえちゃいけない音が聞こえたりとか、見えちゃいけないものが見えたりとかしてたもん(笑)
リリースの前後はホント、レコード会社の人みたいな動きをしてましたね。ただ、周りの環境に恵まれていることもあって、アップルストアでインストアやらせてもらったりだとか、スペシャでPV流してもらったりとか。いろんな人たちに協力してもらいましたね。
:もう一つの転機があるとしたら。淳也くんがね。
:そう。病気になって、入院。2006年の夏に淳也が伝染病にかかって、入院しちゃったんですよ。バンドがこれからってときに。一人抜けちゃって。音はもちろん、見た目的にステージも寂しくなるんですよね。5人が4人になるから。そこで、社長をDJ役として入れることになって。
最初の頃はミラーボールヘルメットもなかったんですよ。
:DJをやったことないデザイナーの男を投入(笑)
:そう。その男をDJで立たせて。あの人って、やれって言ったら、そういうのがちゃんとやれちゃうんだよね。あたかも昔からDJをやってるかのようなフリで。ステージ立ったら、しっかり煽りとかもやって。
ビックリする適応能力で、大阪のツアーなどを乗り切ったんですよ。
そこで、淳也の復帰はワンマンだったかな??
そう、そんでそのワンマンの時にミラーボールヘルメットを発注(笑)
あのミラーボ?ルヘルメットは、スタジオコーストのミラーボールを作っている職人さんにヘルメットを送って作ってもらったものですからね。
それが、今の東京パレードになった瞬間ですね。
それと、忘れてたんですけどジョンの加入ってのもあるんですよ。
それがどのタイミングかわからないんですけど。
ただ、ジョンは元々シブヤーズのドラムだったんだけど、彼が大阪に転勤になってしまったんですよね。で、大阪から戻ってきたときに、ジョン手伝ってくれる?って誘って、ドラムをやってもらうようになったんですよ。で、ドラムを入れてから一気にバンドっぽくなったんだよな〜。
なんていうか、トッピングでどんどん足してって、全部盛りみたいになったバンドなんです(笑)
まぁ〜いろいろ試行錯誤があって、2006年11月26日のワンマンで、ある意味東京パレードの一つの形に辿り着いた感じはありましたよね。
ホント、紆余曲折ありまくりで。そこら辺から、やっぱバンドになったなっていう。だから、実質、体感としてバンドやってるのって3年ぐらいなんですよね。でも今思うと2003年からずーっと来てくれているお客さんもいるんですよ。
:よく諦めずについてきてくれましたね(笑)
:そう。それに自分的に嬉しかったのは、シブヤーズにずっと来てくれてたお客さんが東京パレードになった瞬間離れちゃったんだけど。
そりゃ、そうだと思いますよ。新しく始めたって行ったらさぁ〜2MC・1DJになっててさ〜(大笑)
:ショックだよね(笑)
:ショックだよ(笑)
:フッチーも当時ロン毛で、クールなキャラクターだったのに東京パレードになった瞬間、踊り出しちゃったもんね。
:それで、離れちゃった人たちが数年後に戻ってきてくれたんですよ。
東京パレードがちゃんとしたバンドになった頃、久々に見に来たら良かったっていうことで、戻ってきてくれたりとか。
そういうのはやっぱ嬉しかったっすよね。
そういう風にどんどんお客さんも増えてって。
:その都度、ドラマだったね。
:そうだね。淳也の入院とかを、じーっと何もしないで待ってたんじゃなくて、攻めの姿勢で。社長を加入させたりとか。ツアーもキャンセルせずに乗り切って。やっぱ、淳也は、東京パレードの音楽的カナメだからね。俺は、シブヤーズ時代から淳也のいないライブなんてしたことなかったし。そういうことを乗り越えると、一回りでっかくなってきたな〜っていう。それで、2007年ですね。この年は、ストライカーズとツアー回ったりしたんですよ。
:TOUR BABYだね。
:そう。
これも僕たちにとってはすごくでかかったですね。
2007年はストライカーズと作り上げた年と僕は思ってるんですけど。
なんか、初めてバンドとしてやりたいことが近いというか、バンドの楽しみ方が近い人たちと出会えたんだよね〜。
星野くんとはすごく楽しくて、気があって。バンド同士も気があって。
Westのイベントにも呼んでもらったりとか。いろいろ彼らに連れ出してもらって、どんどん仲間が増えたりした時期でしたね。それとこの頃からハイラインにすごくお世話になって。
:ハイラインでもイベントやったもんね。
:やりましたよ〜。インストアもやったし。
:司会までやったよね。
:いろんなバンドのインストアの司会。頼まれて、DIZZYのインストアの司会とかやりましたよ(笑)でも、この司会をやったことでハイラインの人たちと面識が出来て、そこからリリースのときはお世話になってて。
そこで、2008年。この年は、その流れのままストライカーズとか、ニコルズとかと絡みつつ。あとは、butterfly inthe stomachとかとも。
2007年ぐらいから交流が出来て、仲良くなったりとか。
:あとはヘアブレとかも。
:そうですね〜。SLOWNIGHT以降、いろんなDJイベントに呼ばれるようになって、あとはハイラインのつながりもあって。ヘアブレの大樹くんと仲良くなって。それで、彼らと2マンをやったりとか。あれは、去年の一つのピークでしたね。チケットもソールドアウトして、お客さんもパンパンで。楽しかったな〜。
:あとは、社長&シャインズもこの年から(笑)
:そうですね〜(笑)去年の4月に社長&シャインズという、ひょんなことからバンドを始めた社長のソロプロジェクトっていうことで。
とにかく去年はてんこ盛りだったな〜。
あとは、藤沢も。2007年とかは平行してソロ活動もしてて。
淳也も、iTunesで自分のトラック配信したりだとか。
それと、去年は僕、ソロワンマンライブやりましたよ!!
:6月25日。
:6月25日!!それも僕、節目だったな〜。
:あれもいろんな仲間が集まったね。
:そう。自分がやってきた音楽の10年間の集大成みたいなところがあって。弾き語りワンマンライブという無謀にも思えた・・・、だって弾き語りワンマンライブですよ!!(笑)あれは、自分の中で大きかったな〜。
:あれは、どういうテーマでしたっけ??
:あれは、僕が10年前に好きだった女性がその日に結婚式をあげるということで。連絡があったんですよ、結婚するって。で、連絡を受けた直後にGARAGEに電話しました。6月25日を押さえてくださいと。
その日に自分がヤケ酒してるのも嫌だったし、部屋で一人で思い出してるのも嫌だったし。何か出来ないかな〜って思ってね。それで、ソロワンマンライブをやろうと決めたんですよね。やっぱり、自分にとって、思春期の恋愛とか、そういうことがロックをしたいと思ったり、曲を作りたいとか表現したいってことのきっかけになってると思うんですよ。
それで、そういうのの節目として、自分が曲を書くきっかけになった恋愛の結末をどうするかっていったら、やっぱ僕は音楽で答えたいなと思って、それをやったんですよね。だから、10年間で作った曲を、ひとつひとつ歌っていくという儀式をやって。そこで、自分の中でも何か吹っ切れたものがありましたね。
:あれ最後、感動的なイベントだったもんね。
:みんなどう思ったかわからないけど、あの瞬間、何かありましたよね(笑)1日や2日で作れないものがあそこにはありましたよね。
時の長さというか、重みというか。一人の男の覚悟っつうものが。
少なからず見に来てくれたお客さんには伝わったんじゃないかな。
ゲストの人たちはみんな忙しい人たちだったから、毎日夜中にスタジオ入って。当日にしか、リハ出来ない人とかもいたりして。
ホント、その日は一日で5・60曲歌ったのかな〜。GARAGEのリハで通しリハもやったから2セットソロワンマンライブやったことになるからね。
最後、ホントに満身創痍でしたからね。 でも、あそこで自分の音楽家としての何かを出しつくした感はありましたね(笑)
あと、初めて自分の何かをさらけ出したかも。僕は、あんま人前で無茶をしないというか、出来ないと思うことはしない人だったんですけど、あの日は恥かいても、ダメでもいいからやろうという気持ちに初めてなったのはでかかったっすね〜。それ以降、東パレの活動の中でも吹っ切れた感は自分の中でもありましたし。
:何かあっという間ですね。7年というのは。
:冷静に考えたときにいろんなことを7年とか10年とかやることって、人生の中であんまないですからね。
形としてさ、20年後振り返ったら、CDがポンってあるだけなのかもしれないけど。ホント目には見えないし、カタチとしては何も残ってないかもしれないけど、かけがえのない何かが僕の中には確実に残っていますよ。
僕という人間を作ってくれたのは、あきらかに東京パレードとそれを応援してくれたみんななんだな〜って思いますね。
それがなかったら、今の僕なんていないですよ。
シブヤーズ解散したときに、辞める側と続ける側と分かれたんですけど、辞める側の方にいたら僕の人生、たぶんもう子供2人ぐらいいますよ。俺にそっくりな子供が2人ね(笑)
それは、それで幸せなのかもしれないけど。
僕は、今の人生で良かったな〜って思いますね。やっぱり。
:その東京パレードが活動停止するんだけど、告知されても中々実感というのがなくて。やっぱ毎月のように顔を合わせて、東京パレードはみんなを巻き込んで、楽しいことやってるっていうのが生活になってた中で、活動停止するってことでね、そのイベントが近づくにつれ。
何かね。何かなぁーって感じなんだよね。
:そりゃ、そうだよね。
僕は考えないようにしてますもん。
:東京パレードだからね。
今までも、いろんな出来事を素材として常に楽しく、みんなを巻き込んできた中でね。最後の最後、バンドは停止するけど、いかにパレードをね。そこで、東京パレードは最後にどんなパレードをね。自分たちっていうものを素材にして今度はどう楽しむのかなぁーって思って。初めは楽しみにしてたんだけど、ただ目前になってくるとそういう気分ではなくなって。
何か寂しいなみたいな(笑)あぁー。祭り終わるんだなーみたいな・・・。
:そうそう。だから、活動停止が決まって出口さんにいろいろ相談してて、ライブに向けていろいろ言われて、自分もいろいろやろうと考えたりしたんだけど。何かやっぱ気持ちがそういう風に向かないんだよね。
ホント何も浮かばないし、何もしたいとも思わないんですよね。
なんていうか、今まで自分たちがしてきたことを同じようにやるってことがやっぱり一番正しいんじゃないかって。最後だからブチ上げろよって思うんだったら続けろよって思っちゃうし。もちろん手は抜かずに全力でやるんですけど、最後だから何か記念にやるっていう気持ちにはそんなにならなくて。やっぱり今まで応援してくれたみんなとね・・・。
う〜ん難しいね・・・。
:何か、言い方はわからないけど、純粋な答えというか。
純粋なアーティストとしてのライブになるのかもしれないね。
今まではね、クイズ形式みたいな活動だったけど、今回はね。
答えだけを純粋に持ってみんなに伝えるっていうね。そういう日になるんだろうね。
:ってことだと思いますね。東京パレードが活動停止ライブをやったらどうなる??ってことじゃなくていいと思う。ホントに見えないんですよ。でも見えてなくていいと思って。単純に7年間やってきた楽曲と、お客さんとのいつもの楽しみ方で楽しむっていうことで。それ以外のことはみんなの心の中にちゃんとあるから。それで十分なんじゃないかなっていう風に思いますね。だから最後のライブはホント全員に見てほしい。
一度でも東京パレードに触れたり、少しでもいいなって思ってくれたことがある人たちには見てほしいですね。
それと、活動停止を発表してから約2ヶ月。
なんで活動停止なんですか??って聞かれるんですけど。
やっぱ明確な答えがわからないんですよね。
なんていうか、自分が音楽をやる理由ってなんなんだろうとか、物の表現することってなんなんだろうなっていうことを一回見つめなおしたいなっていう。でもホントは、すごい素直に言っちゃうと、
1年に2・3回はこっそりと東京パレードとしてライブやりたいんですけどね。活動再開!!ってわけじゃなくて、普通にイベントに呼ばれたら普通にライブやるってのでもいいかなって思ってて。
:より表現や感覚に正直になるってことかな。
:そういうことですね。メンバーによっては、いろいろ計画してる奴もいるんですけど。僕は、一回フラットにして。
そのときにどんなことをやりたいかっていうことを考えていきたいなと思ってますけどね。 ・・・・とはいえ、東京パレードがなくなるのは辛いね。
:あらしだ、かなり辛いんじゃないかなって思うんだよね。
:僕にとってみたら、いまだ経験したことない、嵐田の冬の時代が訪れるんじゃないかっていうのは思いますよ。だから考えないようにしてますね。4月の自分が怖いっすもん・・・。どうしよう・・・。
:ただの金髪のオジサンになっちゃうもんね(笑)
:マンガの書けないやくみつるみたいになっちゃうから・・・。やばいよ・・・。まぁ、でもホントになんかやりたかったらやるだろうから、そこは自分を信じてあげようかなと・・・。
何か夢のないインタビューになってるね・・・。
:でも、感覚に正直になってるっていうのは非常に良いんじゃないの?
東パレもすごい大事だし、もちろん未来に向けてっていうのもあるだろうし。 東京パレードも嵐田も、常に企画があって、スイッチがあって、ストーリーがあってっていう中で。正直なのがいい。
:最後に思うのは、東京パレードって、世間に対して何をしたわけじゃないけど、一部の人の心に残るバンドであって欲しいですね。
だから、最後までしっかりライブやって、みんなが10年後・20年後、自分がライブハウスに通ってた頃を思い出して、東京パレードっていうバンドがいて楽しかったな〜っていう風に思ってくれたら最高だなって思います。あと、僕たちは世の中から消えるつもりはないんで。
全員がどうなるかはわからないけど、僕自身は、東京パレードを知っている人が自慢できるような、かっこいい大人になりたいと思います。
って、すでに充分に大人だけどね。こういうのって20歳の人が言うセリフだよな(笑)
:なんかさぁー。弟が家を出て行く感覚なんだよね。
どんどん社会で嵐田を表現して来いっていうのもあるんだけど、ただね・・・。別居になる感じっていうかさ。
:GARAGE、居心地良すぎたからね〜。でも、卒業だよね・・・。
ホントの意味での卒業なんだよな〜。
:盆・暮れ・正月には帰って来いってことか。
:言われなくても帰ってきますよ。
:それでは、最後。読んでくれている方々にメッセージを。
:東京パレード、2009年3月を持ちまして活動休止するんですけども、ホント今思うことは感謝・ありがとうという気持ちばかりですよ。
きれいごとじゃなく、ホントに感謝の気持ちしかなくって。
だから最後は思いっきり楽しんで、思いっきり笑って、思いっきり泣いて、東京パレードらしく、パレードをいったん終わらせたいと思います。
ホントにありがとうと言いたい。
そして、僕たちを見て何かしら感じたものがあったとしたら、それをみんなの人生に還元してもらえたらいいなと。
ホント、僕って音楽の能力があるって一度も思ったことがないんですよ。
だけど、こうやってやりつづけてきたら、僕なりですけど、なんかしたらの結果が出せたっていうことは、やっぱり頑張ることって意味があるし、続けることって意味があるんだなって思うんですよ。
だから、どうせ出来ないとか思ってることがあるとしたら、とりあえずやってみようよ!ってことだけは思います。
それは、体を張って僕がこの10年間かけて表現してきたことなんじゃないかなと思います。
音楽に愛されなかった人間がどこまで音楽を愛せるかってことを。
人生をかけたチャレンジだったと。
みんなもやりたいことがあったら、遠慮せずやってみたらいいと思います。それが東京パレード・嵐田としてのメッセージですね。
:是非とも3月28日。参加していただきたいと思います。
ねっ。最後のパレードでね。
:でも、4月のGARAGEの15周年記念イベントは出なくちゃ、と思ってるんで(笑)15周年に東京パレードが出ないのはおかしいもんね(笑)
:その欲張りなとこ、良い(笑)
:4月に活動再開ですかね(笑)
:じゃあ、期待しつつ(笑)



嵐田光(30) / ボーカル


現在、活動停止中である「シブヤーズ」の嵐田、藤沢、宮崎によって2002年4月に結成。
「今、やりたいことをやる」というコンセプトのもと、ジャンルや形態を変化させつつ、縦横無尽に活動中。
キラキラと底抜けに楽しいパーティーチューンから、おセンチなラップが踊る涙のナンバーまで。
これぞ、ダンスロックと日本語ラップの突然変異。
さあ、みんなでパレードしよう。

東京パレードオフィシャル
ホームページはこちら
嵐田氏ブログは
こちら

■2009年3月28日(土)
[ 昼の部]
“ 東京パレード プレ・ワンマンライブ「ワンマンでやりきれない名曲たちをやるワンマン」”
出演:東京パレード
ゲストドラム:ジョン竹島
会場:下北沢GARAGE
open 15:00 / start 15:30
料金¥1000

[ 夜の部]
“ 東京パレードワンマンライブ「Tokyo Parade」”
東京パレード
会場:下北沢GARAGE
チケットは完売致しました。ありがとうございます。

















GARAGE TOPへ

過去のインタビュー(EdBUS) [2009.3.2up]
過去の直前インタビュー(LUNKHEAD石川龍) [2008.12.2up]
過去の直前インタビュー(Good Dog Happy Men 門田匡陽) [2008.11.21up]

ページTOPへ